「中洲今昔」と題し、高橋会長(中洲流流委員)のナビゲートによる中洲流流相談役(元総務)である蛇の目寿司樋口大将との対談形式にて福博(福岡と博多)を繋ぐ中州の歴史についてご講話いただきました。
高橋会長から提供いただきました中州流50周年誌や、冷泉自治協議会40周年誌(ぶらタモリ案内人/益田啓一郎先生編纂)の写真や古地図を参加者に配布し、旧町名や博多祇園山笠中州流の歴史など日ごろお伺いできないお話や、この議事録には掲載できないような内容のお話に至ると、岡田副会長の絶妙なご質問まで飛び出し、会場は更に大賑わいとなりました。
特に印象深かったお話しは、樋口流相談役の幼少期の鮮明な記憶として「戦後はこの辺り全部、堀りくり返してから、“しっちゃん-かちゃん”の中でも人の往来はあったですね。そのころは、当然シャリになる米もなく、お客さんが持ち込んでくる米を“委託加工”という形で鮨を握らせてもらいよりました。」という言葉です。
昭和20年6月19日の福岡大空襲で焦土と化した、中州を含む福博の街の戦後復興にかけるご先達の想いと、貧しさにも負けない元気で明るい博多っ子気質が、博多川と那珂川に挟まれた小さな洲(しま)を、西日本一の歓楽街中州と為し、福岡博多の経済発展だけでなく、文化の継承に果たした大きな役割について学ばせていただきました。
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