講演;「~都心界・天神発展会が牽引する天神流街づくりとは~」 (天神発展史を識る第3講)
講師;益田啓一郎先生(ブラタモリ案内人、福博アーカイブの第一人者)
;柴田嘉和会員(株式会社しばた洋傘店代表取締役)
福岡発展のなかで、天神が果たした役割を振り返る「天神発展史を識る」第3回目となる今回は、福岡独自の商業施設共同体「都心界」「天神発展会」にスポットを当てて、講師の益田先生と当会会員で「新天町の重鎮」柴田先輩の対話形式にての委員会でした。まずは、柴田先輩がご用意いただきました貴重な天神地区の歴史的な写真を交えながらの天神の歩みをお語りいただき、そこから益田さんとの対談で話は進んでいきました。中牟田喜兵衛が、松永安左エ門の誘いで九州初のターミナル百貨店、岩田屋を開業。慣れ親しんだ博多の呉服町も候補地だったのですが、天神の将来性に懸けたとされています。参加された原田会員からは、「なぜ、福岡部天神に川端を中心に商都博多部の商人たちが、当時何もない天神に進出したのか?」という問いかけに柴田会員が「それはだね、引揚者の生業のために開放した「天神町市場」周辺に闇市が乱立し、福岡部が荒廃していくのを「浄化」するために博多商人が立ち上がったんだよ」との回答。
福岡大空襲で福岡市は大きな被害を受けましたが、戦後、真っ先に立ち上がったのが天神の新天町商店街です。戦災にあった博多商人らを中心に46年秋までに約80店舗が開業したそうです。
岩田屋と新天町という、共に博多にルーツがある両者を中心に結成された都心連盟(現・都心界)
は宣伝活動を一緒にするなど、天神を商業の中心にするとの思いで手を結んだそうです。
通常は大型商業施設と商店街の対立が多く、全国でも珍しい共同体です。
「切っても切れない関係たい!」という岩田屋と新天町の関係。また、柴田先輩は「天神はくさ新しい商業施設の誕生に反対したことやらないじぇ。競争のあるけん成長できるったいねぇ。ダイエーは例外たい。あれは、天神をぶっ潰すっていう触れ込みでケンカ腰で入ってきたけんね(笑)」とも仰います。
「競争と協調」・・・幾重もの流通戦争を繰り広げながら、天神のために協調する。「よそ者を受け入れ、皆で街を盛り上げる風土は天神ならでは」という天神流の街づくりに感嘆の声が上がっていました。
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